社会的欲求2012年07月07日 22:38



(前回の続き)

「安全の欲求」が満たされると、次に、その上位の欲求である「社会的欲求」を求めるようになる。

この欲求は、「社会の一員になりたいという欲求」であり、「どこかに、所属したい」と言う欲求と言ってよいだろう。

人間は孤独では生きられない。

だから、誰もがどこかに所属している。

所属先は会社や学校、あるいは文化サークルのようなグループなど、種々様々である。

動物の中でも、人間は群れることが好きなようである。

もちろん、今日では、どの社会にも属さない人間は生きていくことは難しいだろう。

それこそ、ロビンソン・クルーソーになる以外にない。

そこまでいかなくても、例えば、社会の一員に属していながらも、孤独感を感じる人間は多い。

仕事をしている間はまだよいが、会社の外へ一歩でも出ると、孤独感が襲ってくる。

一昔前には、「大衆の中の孤独」と言われていた。

常に、大勢の人間が周りにいるのだが、誰ひとり、自分を知る人はおらず、話す相手もいない。

地方から来た若者の中には、この孤独感から逃げ出そうと、夜になると盛り場をうろついたり、コンビニに憩いを求めたりしている。

いや、若者だけではない。

30代・40代の働き盛りの営業マンが猛烈に仕事をする裏では、夜一人で酒を飲む。

話す相手も、気を許す仲間もなく、だからと言って、家族の元に帰るわけでもない。

ただひたすら、一人で酒を飲み、孤独感を味わっている。

このような状態が長く続くようだと、危険である。

人間の持っている「群れたい」気持ちを抑圧しているのだから、それがいつかは爆発することになる。

その時、どこに飛んでいくのか。

誰にも、本人にも分からない。