ココロ探し2012年07月04日 20:20

第9回 「ココロ探し」(24-7-4)

営業マンが「何のために働いているのか?」と考える時は、それはココロ探しを行っているのだ。

これはモノが溢れているからこそ、考えることなのだ。

それだけ、モノへの執着度が高いことの証である。

モノが溢れている現実があるが、そのために、人間のココロが置き去りにされる。

これは会社人間なら、痛いほどよく分かるだろう。

何故なら、モノを得るために、一生懸命に働けば働くほど、家の中での存在感が失われていくからだ。

たまに、家に帰っても、子供すら相手にしてくれない。

確かに、モノはココロをどこかに押しやったかも知れない。

しかし、今日の状況で、「モノよりもココロが大事だ。」と叫び、「清貧の生活」をするとしても、それはモノに対する執着が少なくなっただけであり、いつもモノを手に入れることができる財がなければ、それはただの「貧乏」である。

「清貧」とは似て、非なるものである。

モノが得られない状況ではモノへの執着はますます強くなり、ココロの存在は忘れ去られてしまう。

この生活状況で、「モノよりもココロだ。」と叫んでも、それは「負け犬の遠吠えであり、自分を惨めにするだけである。

モノがあってこそ、愛する人を幸せにすることができるのだ。

だからこそ、人間は働くのである。