自我の欲求2012年07月09日 11:10



(前回の続き)

「社会的欲求」が満たされると、次に、その上位の欲求である「自我の欲求」を求めるようになる。

この欲求は、「他人とは違う自分を認めてもらいたいと言う欲求」であり、自分の存在を他人にアピールしたいと言う気持である。

この世に生を受け、社会の一員となった以上は、「他人に注目される人間になりたい。」と思うのは当然である。

これは「自分の生きている証を、この世に残したい。」と言う気持にもつながる。

人間は年を取れば、それだけ死に近づいていく。

死に近づけば近づくほど、人間として生きている実感を得るものである。

しかし、「自分の死」で、この世が終わることはなく、ただ自分が消えていくだけである。

自分の死後も、この世は何事もなかったように、平穏無事に過ぎていく。

家族さえもが、これまでと同じ生活をしている。

「去る者は日々に疎し」とはよく言ったものだ。

死は一時的には回りの人間に大きな影響を与えるが、次第に記憶の隅に追いやられ、生きている人間は平常に戻っていく。

当たり前の話である。

いつまでも、生きている人間が死に拘っていては、「人間らしく」生きることはできない。

家族といえども、死の側にいるよりは「自分の生」を享受する方が、正しい生き方であるはずだ。

それが分かっていても、否定してしまう。

このことが、人間をより一層不安にする。

「今、ここにこうして生きている自分、この自分が死んだ後にも、存在させておきたい。自分のモニュメントを残しておきたい。」と言う思いが人間の奥底にある。

これを現実化するには、何かをしなければならない。

そのためには、自分が他人とまったく同じ存在ではいけない。

他人と違う自分、その自分が他人に認められること、これが人間の持つ4番目の欲求である、「自我の欲求」である。

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