会社のイメージ ― 2012年08月02日 17:11
(前回に続く)
顧客が会社に抱くイメージがよければ、商品そのものの価値に関係なく売れることは、日常よく目にするところである。
TVでコマーシャルをする会社は認知度が高く、顧客の商品選択に影響を与える。
この場合、クリーンなイメージとダーティーなイメージを持つ会社があれば、クリーンなイメージである会社が勝利することは間違いない。
これはTVCMのでき具合いにもよるし、社会的影響も考えられる。
また、認知度の低い会社は他のファクターが購買選択の決定要因となる。
会社イメージの重要性は、次の二つが考えられる。
ひとつは、会社の良さは、「商品」、「サービス」、「情報」の良さにつながっていることである。
顧客の頭の中では、この連結がしばしば行われる。
もうひとつは、会社が社会的存在として意識されるようになり、その責任を果たすことが求められているからである。
公害のようなマイナス部分を排除するだけではなく、メセナのように積極的に社会貢献する会社がよい会社だという理解が深まっている。
これらが、会社イメージをさらに高める方向に向かわせていると言える。
だからこそ、最近の広告は、イメージを重視した広告戦略を展開する会社が増加しているのである。
顧客が会社に抱くイメージがよければ、商品そのものの価値に関係なく売れることは、日常よく目にするところである。
TVでコマーシャルをする会社は認知度が高く、顧客の商品選択に影響を与える。
この場合、クリーンなイメージとダーティーなイメージを持つ会社があれば、クリーンなイメージである会社が勝利することは間違いない。
これはTVCMのでき具合いにもよるし、社会的影響も考えられる。
また、認知度の低い会社は他のファクターが購買選択の決定要因となる。
会社イメージの重要性は、次の二つが考えられる。
ひとつは、会社の良さは、「商品」、「サービス」、「情報」の良さにつながっていることである。
顧客の頭の中では、この連結がしばしば行われる。
もうひとつは、会社が社会的存在として意識されるようになり、その責任を果たすことが求められているからである。
公害のようなマイナス部分を排除するだけではなく、メセナのように積極的に社会貢献する会社がよい会社だという理解が深まっている。
これらが、会社イメージをさらに高める方向に向かわせていると言える。
だからこそ、最近の広告は、イメージを重視した広告戦略を展開する会社が増加しているのである。
生きることから楽しむことへ ― 2012年07月02日 12:25
(前回の続き)
昔はモノがないのが当たり前の時代であった。その当時は誰もが、モノを持っていなかった。
だから、モノに対する欲望が、今日と比較して、はるかに小さかった。小さいがために、モノはなくても、ココロを満足させることができたのである。
だが、今日はモノが溢れている時代である。この時代はモノをもつことへの限りない欲望が渦巻いている。
これでは、どんなにモノが溢れようと、不安感は募るばかりである。
そのため、ココロはいつも何かを求めている。それが新宗教へとつながっているように思える。
「営業マンと仕事」と言うテーマとは関係ないように思えるが、働くと言うココロと通じていると考えている。
人間はいつの時代でも、働くことによって、金を得て、生活をしている。
働くことは生活の基本である。
「生きることから楽しむことへ」
生活に対する価値観が変化し、生活することはただ生きると言うことだけではなく、生活を楽しむようになってきた。
この楽しみがモノを必要としている。
あるいは、モノがあるから、楽しむようになったと言うべきである。
そして、世の中にモノが溢れた。
それにつれて、モノに対する人間の執着度はますます高くなっていった。
だが、モノが増えれば増えるほど、ココロがどこかに行ってしまうのだ。
そのココロ探しが始まっている。
これは前回に説明した、子供の例とまったく同様である。
モノとココロ ― 2012年06月28日 20:52
(前回の続き)
満足感があって初めて、ココロの問題となる。
「いや、それは違う。」
と言う人達がいる。
昔はモノがなかった。今日と比較にならないほど、何もなかった。
子供にはゲーム機もなければ、電子手帳もない。
しかし、昔の子供の方が毎日、充実していたし、大人も幸福感を味わっていた。
「昔は良かった。」
と、年老いた人たちが言う。
その言葉の背景には、ココロの問題があるように思える。
人間関係にしても、幸福感にしても、モノがあるから充足されるのではなく、ココロが喜びを感じることができる何かがあった。
それは、「モノがない。」ことであったと思う。
モノの豊富感はココロの感動を薄める働きをする。
それが現在の若者や子供に象徴されている。
例えば、今の若者は子供の時からモノに囲まれて育ってきた。
だが、ココロはほとんど満たされていない。
一方、昔の子供は、モノはなかったが、ココロの飢餓感がなかった。
だが、一つ大事なことを見落としている。
それは、その当時と今日の状況との隔たりである。
満足感があって初めて、ココロの問題となる。
「いや、それは違う。」
と言う人達がいる。
昔はモノがなかった。今日と比較にならないほど、何もなかった。
子供にはゲーム機もなければ、電子手帳もない。
しかし、昔の子供の方が毎日、充実していたし、大人も幸福感を味わっていた。
「昔は良かった。」
と、年老いた人たちが言う。
その言葉の背景には、ココロの問題があるように思える。
人間関係にしても、幸福感にしても、モノがあるから充足されるのではなく、ココロが喜びを感じることができる何かがあった。
それは、「モノがない。」ことであったと思う。
モノの豊富感はココロの感動を薄める働きをする。
それが現在の若者や子供に象徴されている。
例えば、今の若者は子供の時からモノに囲まれて育ってきた。
だが、ココロはほとんど満たされていない。
一方、昔の子供は、モノはなかったが、ココロの飢餓感がなかった。
だが、一つ大事なことを見落としている。
それは、その当時と今日の状況との隔たりである。
誰のために働いていますか ― 2012年06月25日 02:10
では、次の質問にいこう。
「一生懸命に働いているのは、誰のためですか?」
この答えはどうだろうか。
前回の質問と同じ答えが多いかと思う。
既婚者なら、ほとんど「家族のため」と答えるだろう。家族のために、家族団欒を犠牲にして、働いているのだから、不思議な話だ。
独身者なら、ほとんど「自分のため」であり、将来結婚するかも知れない「恋人のため」である。
これらの答えから、次のことが考えられる。
営業マンが一生懸命に働くのは誰のためでもない、自分の愛する人のためである。少しでも多額の給料を貰い、少しでも高い地位に就きたいのも、愛する人を幸せにしたいからである。
人間は誰でも、この気持ちを胸に抱きながら働いている。
金がすべてではないことも、高い地位に就くことが即、幸せにつながるものではないことは分かっている。
しかし、これらを得ることによって、幸せに近づくことは現実である。
世の中には、「金も地位もいらない。」と言う人がいる。だが、地位はなくても、金がなければ生きられない。
ましてや、他人よりもいい生活をしようと思えば、より多くの金が必要だ。金がなければ幸せになることができない。
以前、
「幸せってなんだっけ?」
と言うCMソングがあった。
今日ではモノが豊富にあり過ぎて、モノによる満足感は少ない。その分、ココロの飢えはひどくなっている。
それを、このCMソングが表現していると思う。
だが、ココロの満足を得る前提には、モノが満たされている状況がある。この満足感があって初めて、ココロの問題となる。
あなたの愛する人 ― 2012年06月16日 20:29
あなたの愛する人
(1)営業マンは、なぜ、一生懸命に働くのか?
まず、質問。
「あなたが一番愛する人は誰ですか?」
「家族」、「恋人」、また、「自分」と、答える人が多いだろう。これらの答えは、いずれも、人間として、ごく自然の答えである。中には、「誰もいない。」と、答える人がいるかも知れない。
愛する人がいないことは、悲しいことである。愛する人がいれば、それだけで、世の中がバラ色になるから不思議だ。
人間の気分は周囲や自分の思いに、大きく左右されやすい。
その典型が、病気である。「病は気から」と、昔から言われているように、病気の多くは気持ちが作り出している。ストレスやノイローゼなどは、その悪例である。
また、他の事例がある。
正確ではないかもしれないが、大筋は次のことであったと記憶している。
元気な人間に、「どこか病気なの?」と言う問いかけを何人もの人間が問い続けると、元気な人間は次第に元気がなくなり、病気の兆候を見せ始めると言う。
何人かの人間の言葉が、健康な人間を病気にさせるのなら、その逆もあり得るだろう。
愛する人の存在が、バラ色の世界を生み出すように、言葉ひとつひとつが人生の苦しさを忘れさせ、元気づけてくれる。
先の質問に、まだ「いない」と答えた人は早く愛する人を見つけよう。
バラ色の人生があなたを待っているから。
(1)営業マンは、なぜ、一生懸命に働くのか?
まず、質問。
「あなたが一番愛する人は誰ですか?」
「家族」、「恋人」、また、「自分」と、答える人が多いだろう。これらの答えは、いずれも、人間として、ごく自然の答えである。中には、「誰もいない。」と、答える人がいるかも知れない。
愛する人がいないことは、悲しいことである。愛する人がいれば、それだけで、世の中がバラ色になるから不思議だ。
人間の気分は周囲や自分の思いに、大きく左右されやすい。
その典型が、病気である。「病は気から」と、昔から言われているように、病気の多くは気持ちが作り出している。ストレスやノイローゼなどは、その悪例である。
また、他の事例がある。
正確ではないかもしれないが、大筋は次のことであったと記憶している。
元気な人間に、「どこか病気なの?」と言う問いかけを何人もの人間が問い続けると、元気な人間は次第に元気がなくなり、病気の兆候を見せ始めると言う。
何人かの人間の言葉が、健康な人間を病気にさせるのなら、その逆もあり得るだろう。
愛する人の存在が、バラ色の世界を生み出すように、言葉ひとつひとつが人生の苦しさを忘れさせ、元気づけてくれる。
先の質問に、まだ「いない」と答えた人は早く愛する人を見つけよう。
バラ色の人生があなたを待っているから。
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